夜通しああでもないこうでもないと六時間も話し合いをして結論がでなくて疲れ果てて別れてついさっき表参道から歩いて帰る途中で電車の始発が動いていることに気づいて乃木坂の駅に入ろうとしたもののよく考えたらたかだか一駅のために160円支払うのも馬鹿らしいと思案しながら帰宅してパソコンをつけてみると興味深いエントリーが。
曰く「プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる」を梅田BLOGに触発されて論考したものであるが、梅田氏の語っている内容は単に学習回路と学習効果がネットによって速くなりましたかという話であって、おそらく業界として必要なブレークスルーであるとか絶対的付加価値とは何ぞやという本来語られるべき(一流になるための)課題について騙られているが、大渋滞を飛び出す仕掛けは何かのところで思案して止まっているという結論で終わっているのが麗しい。まあ、そんなもんだと思う。
そんなもの、新しいルールを掌握する能力やセンスと、無関係なものの組み合わせをする試行錯誤の回数に決まってるだろーがとか思ったが、断定すると反証が出て恥ずかしい思いをすることになるので慎ましい大人然とした人柄で石橋を叩いて渡る性格の落ち着いた私は口が裂けてもそんなことは書けない。心から残念なことである。
ところで、プロとアマチュアという考え方において、ひとつ気になったのはプロとアマチュア、要は金を稼ぐ金を稼がないというのは同一線上のアリアだとR30氏も梅田氏も捉えているのかなと思うと少し妙な気分である。
製造業で考えてみると分かりやすい(厳密に考えると違うと思うが)。まず、媒体と記事を分けて考えると、記事の製作は商品であり、媒体とは販売所である。ブランドであるかもしれない。商品と、マーケティングという考え方だ。
で、ハブ名人とかいう蛇のような名前の人の扱っている将棋も雑誌や新聞の記事も音楽も、共通して情報の集積とその組み合わせによって製品が成立しているといえる。組み合わせ方を習熟することがその人の商品クオリティをあげるための必須条件であり、おそらく組み合わせ方自体はそれほどのバリエーションもなく習熟までに数年で済むだろう。インターネットのないころは、棋譜やワープロ、鍵盤とテープレコーダーというような環境で棋譜を取り寄せるのに雑誌を待ってみたり、記事を入稿するのにワープロや原稿用紙を使い過去の記事を検索するのに大宅文庫に出向いてみたり何度も自分なりに演奏してみて録音して音格を確かめたりしていた。要は、この手の情報で完結するタイプの商品の基礎的なクオリティを検証するのにインターネットは向いていたというだけに過ぎない。
ところが、これらの商品のクオリティというものは一定のレベルを超えるごとに、個人のセンスとほかのものとモノを組み合わせる試行錯誤の回数に依存する踊り場が来る。これを彼らは「渋滞」と呼んでいるが、本当にそうだろうか。
梅田氏はこう書いている。
しかしその先の「大渋滞を抜ける」競争を抜けるためには、それだけではない、もっと違う何かが必要になる。
投資家から言わせてもらえば渋滞など存在していない。渋滞という表現が、思い通りに逝かない停滞状態という意味であれば、渋滞ではあるが。単に、高速道路にいるときと、渋滞に入ったときと、ゲームのルールが違うということだ。しかも、ルールの変更はいつでも起きうる。
簡単に言おう。初心者が個人投資家気取りで株式市場や先物市場に参入しているときは、意味の分からない投資活動を繰り広げるので彼らは格好のカモである。だが、市場が盛り上がる過程で一定の割合で収益を上げてきたパワフルな個人投資家やカモから収益を吸い上げて腹いっぱいになった法人による個人投資家や機関投資家が市場でイニシアチブを握り始める。高速道路時代のルールはここまでで完結する。
やがて市場の後退期になって、ミーハーな投資家や玉を打ちつくして焼死した投資家は退場し、プロによる儲かりづらい業績相場に移行する。つまり、ひとつ頭出るには大変な相場環境といえるが、高速道路のころと渋滞のころではゲームのルールが違う。
ただし、これらはゼロワンのようなデジタルな世界ではなく、厳然とプロや実需家が好む銘柄や商品相場と、アマチュアに人気な値動きの激しい銘柄や商品相場の色分けによって、割合が決まる。高速道路と渋滞の境目は、あまり明確ではない。
基本的に投資の世界も情報量の多寡によって勝率が変わりうる情報産業の一種であると同時に、そうであるが故に高速道路が設定されている世界でもある。巷の本屋に逝くと、「勝てる株式相場」とかそういった本が山ほど並んでいる。チャートの読み方や相場に関するデータはネットでほとんどタダで見られる。プロ級の知識になるための投資は百万もかかるまい。
が、素人が千万なり儲かって、ではそれを億単位にしようとすると、またルールが変わってしまってもう大渋滞である。投資回収率はだんだん悪くなり、身動きが取れなくなり、面倒くさくなって証券会社の一任勘定に丸投げしたりせっかく儲けても半分以上は各種通貨で置いたままになり資本全体でもう4%の利回りでいいやという状態になったりする。
一方で、情報産業に位置しない圧倒的多数の業界では高速道路などというものは存在しない。他社製品をいちいちバラしてみたり、採算の悪い企業を買収して技術を導入してみたり、他社から技術者をヘッドハントしてきたりする。高速道路なるものは存在しない、あるいは高速道路らしきものを探して金を払ってみるほかない。ネット業界にいる人のほとんどはこのあたりを誤解している。
製品のクオリティというものは本来そういうものだ。地道な研究開発を続け、試行錯誤を延々繰り返し、様々な機能を考案するなど、製品を製造するための投資を行わなければならない。が、こういう世界は往々にしてセンスがクオリティに反映されない。むしろ、意欲や労働時間といったものが大きく左右する世界である。
つまり、高速道路という概念は、情報の流通が進んでいる一部の業界か、情報の取得がそのままクオリティ上のアドバンテージに反映されやすい業界にしか関係しないのである。
では、製品のクオリティさえ上がれば金になるのかという問題がある。私たちは産業史が「必ずしも良い製品を製造した会社が勝ち残ってきたとはいえない」という教訓を知っている。つまり、製品を売る努力、売る方法の解決なしには、良い製品も消費者に知られないまま埋没していくのが常だ。
R30氏にしても梅田氏にしても私にしても、時折「あんたの意見は面白い」とおだてられて嬉しいこともあるかもしれないが、世間一般でいえば私らのことなどほとんど知られていない。売る努力をしていないからである。せいぜいネットの片隅で行われる議論を細々とやっていて、そこのなかの評判やアクセスで一喜一憂しながらやっているだけだ。R30氏にいたっては匿名である。
おそらく、素人のジャーナリズムとプロのそれとの違いは、クオリティではなくセールス、あるいはマーケティングの機能(あるいは時間の使い方)の有無であろうと思われる。マーケティングを充分行っているのに売れない、ということであればそれはその製品のクオリティが低いということかもしれないが、言ってしまえば、大学卒業して出版社に入るなり、頑張って営業して、ライターの弟子の弟子ぐらいからスタートして自分の畑を見つけるなり編プロに入って修行して人脈を磨くなりすれば、金はもらえるようになる。クオリティはともかく。それでも、それで生計が成り立ちさえすればプロになるだろう。プロ級、金の取れるテキスト、という意味では少し意味合いは違うが、飯の喰い方が先に立つか(どっかの出版社や新聞社に就職しておる)、筆の切れ味が先に来るか(ライターとして名前が出て、様々な商業出版物に連載や特集でお呼びがかかるようになる)の相違でしかないように思う。
ジャーナリズムとしてのクオリティがどうであるか、高いか低いかと、それがプロであるかどうかは、ベクトルが違うのだろうと。それはまったく方向が違うというのではなく、相関はあるにしても、隔たりはあるのだろう。クオリティが高ければプロになりやすいと言えないこともないが、クオリティを極めるには限界点でのルールの違いをいち早く察知するセンスや新しいルールを探るための試行錯誤の回数を増やすのが近道であって、しかしそれは必ずしも営業上のアドバンテージとして効率が良いわけではない、したがって、中途半端なクオリティでも大御所になるなり一山当ててお座敷に呼ばれるようになれば立派なジャーナリストとして誌面を飾れる凄そうな人になるのだろうというのが私の見解だ。だからこそ、私はジャーナリストたろうともしていないし、そうであるとも思っていない。志が低いと言われても正直どうでもいいのは、別にジャーナリストとして自分を売り出し、特定の方面の大御所としてギャラの上昇を期待して雑誌社の経費で飲み食いすることに何の意義も見出していないからである。
ただ、ジャーナリズムというのは多少ひっかかるものがある。結果的に、ジャーナリズムといわれるものが展開しうる媒体としてネットなりブログなりが利用されるというのは、偏に渋滞に差し掛かっているインターネットの利用法に、新しいルールを持ち込むからである。それは、私という個が直面する渋滞とはまた別に、概念や事象もまたブレークスルーの対象たりえると思っているからだ。つまり、私たちの社会がより豊かで安全なものとなるためにネットやブログが利用されるにおいて、ジャーナリズム的側面は意外と不足していて、当初期待していた社会的な合意形成においてすらも、ネットは意外と使われていないことにさんざ気づく。
私は私が試行錯誤をして私だけが渋滞から抜け出してどうなるものであるとも思っていない。ご指摘の通り、それでは単なる私の売名になってしまう。だが、当初ネットが出始めたときと同じように、ネットのお陰でコミュニケーションに新しい形が生まれ、それによって様々な出会いが生まれ絆ができたように、利用方法の創造はネット社会におけるブレークスルーそのものなのだろうと思っている。私は自然法とはそういうものだと考えていて、その渋滞は私たちの試行錯誤という投資を迫っているのだ。ならば、確率論的に言って多くの人がリスクを取って一次情報を流し始めればネットは新しい世界を拓くことになるかもしれないと思うが、一方でそんなことしてもリスクばっかりでちっとも喰えない。喰えないシステムは最悪なシステムである。だから、喰える私が私の責任の範囲内でやっているのがジャーナリズム(笑)であり、このちっこい界隈のフロントランナーとしての役割だろうと勝手に判断してやっているので笑って見ていただいていて何の問題もない。
とかなんとか書いているうちに日が明けてきたよ大将。まあそういうわけだから逝けるところまで逝こうか(笑)。
Posted by kirik at 2004年12月12日 07:10ちまちまちまちまと書いてる文章を、隊長がものすごい勢いで総括。 あ゛〓〓分かったよ分かりましたよ。いや、もう反論することなんて何もないし、ていうかあなた2回
Linked from 隊長がすごい勢いで突っ込んできた(泣) : R30::マーケティング社会時評 at 2004.12.12ちまちまちまちまと書いてる文章を、隊長がものすごい勢いで総括。 あ゛〓〓分かったよ分かりましたよ。いや、もう反論することなんて何もないし、ていうかあなた2回
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Linked from 隊長がすごい勢いで突っ込んできた(泣) : R30::マーケティング社会時評 at 2004.12.12◇切込隊長及びR30の人のネットジャーナリズム(笑)なる議論について。要素を絞り込むとしたらここかな。 R30のひとの アメリカという社会が健全だなあと思うのは、そこでダン・ギルモアのように「公共に奉仕する意見を言える人間が必要だ、その機能を経済...
Linked from ブログマネーとしてのグーグルアドセンス : New UnderGround Commune Style at 2004.12.12週刊!木村剛 powered by ココログ: 切込隊長、本当に残念です。でも、ありがとう。 と、礼を言いつつ、訴訟に踏み切るのかなあ。 隊長の文章はかなり巧妙に訴訟対策がされているように見えるが、ど
Linked from でも、ありがとう。と礼を言う木村氏 と、フロントに立つ隊長 : 日常/非日常Blog at 2004.12.12このネタもだんだん長くなってきて、読んでいる方は疲れてるかもしれませんが、幸か不幸か切込隊長からも「待ち切れねーぞコノ野郎」といった趣の丁寧なツッコミTBなど
Linked from プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その3 : R30::マーケティング社会時評 at 2004.12.13で、隊長ブログからのアクション、リアクションの結果として、話題の木村剛氏のサイトを見た。前にも書いたけど、氏の文言は興?爾ぁ 2004.05.13 モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために - ...
Linked from 裁判って名誉毀損だけじゃないわけだが : セカンド・カップ はてな店 at 2004.12.13その間に読んだ、 そもジャーナリストとはいかなる職業か http://kiri.jblog.org/archives/001253.html これが隊長のエントリーのタイトルで、その前後、周 ...
Linked from ジャーナリストが問題なのか : セカンド・カップ はてな店 at 2004.12.13その間に読んだ、 そもジャーナリストとはいかなる職業か http://kiri.jblog.org/archives/001253.html これが隊長のエントリーのタイトルで、その前後、周 ...
Linked from ジャーナリストが問題なのか : セカンド・カップ はてな店 at 2004.12.13相変わらずこのあたりが香ばしいワケですが。 つーか、木村さんの今回の対応については、「ビールを飲みながら考えてみた…」さんがうまくまとめてくださってます。ちょっと拝借させていただきます。 日本新興銀行の失敗によって木村事務所(KFi)のコ...
Linked from もう一つの「高速道路を避けて生きる生き方」 : McDMaster's Weblog at 2004.12.13本日のバトル経過報告。木村剛氏に一理あり。 まず木村剛氏のエントリよりざくざ
Linked from 訂正は無断でなされるもの : 月ナル者 at 2004.12.13おはようございます。食えるか食えないかの違いにすぎないというのはしごく真っ当で納得でございます。
フリーライターの大半は「ライター」というささやかで自己満足な名誉を手放させないだけの使い捨て労働者に
等しいし。
そういえばこの前隊長にトラバしていたうちのどこかが
「プロの物書きなみ」などと表現していたのに失笑しました。
隊長、単行本複数出してて十分プロの物書きだってのに。そもそもプロでも隊長よりクオリティが低い奴は
山ほどいるってのに。商業媒体の記事でも。
世間に根強くはびこる「物書き幻想」を目の当たりに見たような気がした。
梅田ブログは基本的にバカっぽい。
あまりのバカぶりをヲチさせてもらうには最適だけど、あれをありがたがってるヤシがいるとしたら涙ぐましい。
イワシのアタマもナントカ、だな。
ジャーナリズム(journalism)の由来するところは、
journal(日記、日誌、定期刊行物、新聞)に関する事柄ということであり、journalはフランス語のjour(1日、日中)から由来している。jourはラテン語のdies(1日)の形容詞形diurnusが語源で、これは英語などでもdiurnal(日中の、昼間行動する)という形になっている。
語源を遡及してわかったことは、ジャーナリズムとは「毎日生成する事物を追求すること」という本源的意味であり、それによってジャーナリズム、特にそれを業として行っている既存ジャーナリズムが抱える限界が明らかになる(@wぷ
鳥インフルエンザで隠蔽をしたために、毎日ジャーナリズムに追われた鶏舎の経営者が自殺したことがあったが、ヲレはあのとき「北海道だか又は海外に1ヶ月か2ヶ月旅行すればよかったのに」と思ったものだ。
ジャーナリズムは日々生成することを追求するために、ある程度の期間、はっきり言うと2ヶ月以上同じことを追求することはできない。新聞や雑誌も一つの事件を徹底的に追う体制にはなっていない。次々と事件が起きるからだ。「人の噂も75日」というが、ジャーナリズムが耐えられるのもその程度だ(@w荒
隊長のように既存の「ジャーナリズム」体制の外にある人間は、このような限界の外にあると言える。
「そういえば2、3ヶ月前にあんな事件があったな。あれからどうなったのかな」という情報への「需要」は誰でも持っている。
いわゆるネットジャーナリズムは、既存のジャーナリズムが「ジャーナリズム」を業として行うことにより「ジャーナリズム」という語の本源的限界(対象が日々生成する事物の追求であるということと、追求可能期間が限定されていること)に強く規定されていることと対照的に、より長いレンジでものを見たり、また深い視点で探求することが可能なのではないかと思っている(@wぷ
>>16
ジャーナリズムの一分野としてインベスティゲーティブ・ジャーナリズムが確立されているよ。
別に短いレンジでのニュースを追うことのみがジャーナリズムじゃないでしょ。
一番分かりやすい例で言えばウォーターゲート事件とか。
ところで隊長の逝ける所までっていう覚悟はとても怖いです。具体的に何を指しているのかは分からないけども・・・
漏れが松屋で朝食食ってる間にこんなエントリーが。
とりあえず食える状態を通り越して貯蓄して、早く
自分の責任で香ばしい一次情報を流す
ジャーナリズム(笑)を書けるようにしたいですわ。
まぁ、人様に晒せる一次情報なんてわたしゃ対した
もんはありませんが。
>市場が盛り上がる過程で一定の割合で収益を上げてきたパワフルな個人投資家やカモから収益を吸い上げて腹いっぱいになった法人による個人投資家や機関投資家が市場でイニシアチブを握り始める。
この個所意味不明。主語は何でんねん?
漏れが松屋で朝食食ってる間にこんなエントリーが。
とりあえず食える状態を通り越して貯蓄して、早く
自分の責任で香ばしい一次情報を流す
ジャーナリズム(笑)を書けるようにしたいですわ。
まぁ、人様に晒せる一次情報なんてわたしゃ対した
もんはありませんが。
>市場が盛り上がる過程で一定の割合で収益を上げてきたパワフルな個人投資家やカモから収益を吸い上げて腹いっぱいになった法人による個人投資家や機関投資家が市場でイニシアチブを握り始める。
この個所意味不明。主語は何でんねん?
まあ大新聞などはその発行部数から、大衆の最大公約数的な興味をソースとしてとりあげざるおえないけど、ネットの場合議論されているさまざまな問題があるにしろ、ニッチな興味で展開する可能性がある訳で。
「ねちずん」ってキーワードの方がしっくり来るなぁ。
ジャーナリストになっちゃうと、対象と行為が限定されすぎて、どうも馴染めない。
インターネット時代なんだから、みんなプログラム書けって言う感じがしてしまう。
そもさ、新聞を買いたくて買っているわけでない人が講読層の多数をしめているわけだから。
新聞は死んでいる
そうである限り、いくらジャーナリズムを論じても言い替えがいくらでもきいて時間の無駄。
なので、
人が知りたいことを調べて、それを書いてくれる人がいればそれでいい。
そのニュースが本当に価値があるものなら、次からは相場を上げていくことができる。
新聞もほとんど同じ値段横並び。
相場の変動しない消費というのは、かなり怪しいよ。
>>0
技術がすばらしくても・・・、プロでない奴はごまんといる!by炎尾燃
ってカンジでしょうか。
>>16
村上隆(小説書くほう)も言ってたな。
「鳥インフルエンザで人死にが出たわけじゃないんだから、死ななくてもいいのに」
頭悪いので混乱した。。。
喰えるか、喰えないかの話?
喧伝する努力をするのか、しないのかの話?
プロ:
生業で喰えるように、一定以上に評価される成果物を作り、
それを喧伝する努力を怠らない
セミプロ:
一定以上に評価される成果物を作り、後は市場に任せるがまま。別に喰えなくても構わない。
アマ:
自分の趣味である。
自分の職業に当てはめてみるとヒヤリとするね。
まぁタテマエ売って食ってる訳じゃないからまだ良いけど。
R30氏のTBの
>だいたいマスコミ人(特に編集・記者系の人)は、隊長みたく
>「歴史を動かすのは食えるかどうかである」なんていうマルクス的唯物史観を、
>なぜか自分の職業においてだけは絶対素直に認めようとしないんだよ。
ってのはわかり易い。
書きたい事を書きたい様に書いて発表したい場所に出せばいいんだよ。
それがジャーナリズムなのか何なのかは、それを読んだ人間が後から勝手に決める。こっちの意志とは関係無く。
自分の居場所が今何処なのか、いちいち気にしてたら前になんか進めない。
その途中の景色がいいな、と思ったら地図を広げて場所を探してそこに印を付けてもいいだろうけど、
道に迷ってる時にそれをやったらかえってパニックになるだけだ。
前からそうだったけど、
なんか最近の隊長は特に、
自分の死を意識して、活動しているような気がする・・・・
あ、どうでもいいですか。そうですか。
ライターとして20年も飯食ってる俺から言わせてもらえば
名前なんかどうでも良くて、声がかかるからとかも
別にぃ〜って感じで。職人として日々、技(があればだが)
を虚しく磨いてみたりして……。淡々と日々を生きるだけ
なんだがな。
自分の好奇心を満たして、それで生きていけるのだから
幸せな職業だとは思うけどね(〆切前は除いて)。
フリーってのは、なんだろな。自分のできることを正確に
把握する能力で、今日のうんこの量みたいなもんですよ。
人から、毎日たっぷりうんこしろ! といわれても、
出ないときは出ないもんだ。
プロのジャーナリズムと言っても、その内実は千差万別。
役所や企業の発表ネタをまとめるしか能がないもの。釘記者のように特定の商品の相場を10年1日のように追いかけるもの。営業用パブ記事をもっぱらとするもの。サツまわりと称してどこかで一晩飲み明かし、細かい事故、事件ネタさえ落とさずにいればそれでよしとするもの。(地方の記者で全国的な大事件に遭遇する確立は多くはない)
本当に鋭い問題意識をもって、対象に深く食い込み、特ダネを連発するような記者はほんの一握り。それで回っているのが新聞社だ。(釘記者だってだれかがやらなければいけない)
風化したうんこ
うんこは田舎育ちでした
うんこは地元の高校を卒業したら東京へ出ようと思いました
18歳から20歳まで地元でアルバイトしました
新聞配達をして魚屋で魚を捌いてコンビニでレジ打ってガソリンスタンドで土下座してゲーセンでスト2やって2年間で200万円貯めました
いざ出陣と思ったときに、我が家ではとんでもない出来事が起こりました
姉ちゃんが統〜会に入信していたことが発覚したのです
父ちゃんはあと半年で勤続30年になる公務員稼業を辞め
母ちゃんは手伝いの仕事を辞め
姉ちゃんに必死の説得を試みました
うんこは東京出陣をしばらく断念してひとりで留守番をしました
200万が100万になり50万になったところで
姉ちゃんの逆洗脳が完了しました
父ちゃんと母ちゃんは俺が出陣するのに断乎として反対したので
うんこは家を飛び出しました
親戚を頼って横浜に出ました
家を借りました
残る資金は10万円しかありません
うんこは乾坤一擲の賭けに出ました
とある出版社に普段着と突っかけの姿で出向き
受付の姉ちゃんに挨拶し
偉い人を呼びつけました
偉い人が出てきました
使ってくれと云ったら
偉い人は履歴書と一般常識と身だしなみを要求しました
ありませんと応えました
偉い人は不愉快な顔で俺を追い出しました
そしたらもっと偉い人が出てきて
いまどき珍しいバカだと云って
拾ってくれました
小間遣いになりました
石の上に3年頑張ったけど
その会社は沈没しかけていました
うんこはいち早く逃げました
あれほど入りたがっていた会社なのに
いち早く見切りました
その後はしばらく風来坊をやって
頼ったり頼られたりの生活をしながら
風の向くまま田舎に舞い戻りました
10年
人は一朝一夕に成るものではありません
どんなにつまらない人間でもどんなにだめな人間でも
人間であるかぎり
一朝一夕には成りません
だから
だからこそ
恵まれた境遇にあるものは
それを活かさなければなりません
うんこはそう思います
分際をわきまえることは悪いことではありません
そうしなければ
無用の苦難に陥るからです
うんこはそう思います
しかし
分際をわきまえてばかりもいけません
そうしなければ
何も知ることが出来なくなるからです
うんこはそう思います
おわり
まぁたいていの職業で、食えるかどうかの分水嶺は
質の良し悪しではなくコネのあるなしだったりする
わけで。ジャーナリスト(笑)なんてその最たるもの
じゃねーの。
結局、「渋滞」があるのかないのかがイマイチ分からなかったのはオレが馬鹿なだけ?
高速道路と渋滞では「ゲームのルールが違う」ってのは、梅田氏の言う
「もっと違う何かが必要」ってのとは違うの?梅田氏はそれを言い当ててないだけで。
何かおんなじ事言ってるような気がしてならないんだけど。
「渋滞」なんて俺様にとっては存在しないよってそんな意味?
「ルールが変わったんだよ!」
を良い意味で思い出すなぁ。
ついでに、藤田田氏の78:22の法則とか働きアリとサボりアリの法則(だっけ?)を複合して連想したり。
「将棋」や「株式投資」について言えば、「高速道路」ってのは、すでにあるけど、学校で教えてくれない、
「体系化された知識」を習得し易くなったってことに過ぎないわけで。
将棋の場合、体系化されてない知識を習得するか、新たな理論を構築できなきゃ、
同等の知識のある相手に勝てないのに対し、
株式投資では、「理論がなけりゃでっち上げればいい。自分は常に他人を出し抜ける。」って、
株屋原理を発動させるってとこがちょっと違う。
どっちにせよ、ネットがブレークスルーの役に立つはず、立つべきだっていう、梅田氏の発想は幻想だと思う。
(スパコン開発がコモディティになったなんてことに触れてるけど、それって、Intel が莫大な研究開発費を費やして、
IBM が泣く泣くつきあってるから成り立つわけで。)
隊長は、社会的意義に着目してるので、梅田氏とは視点が異なると思うけど。
>>16
漏れも同感なんだけど、日本語のジャーナリズムって
職業報道人ってだけのことに過ぎないのでは、と思う。
今出てる中央公論の冒頭の対談みても、日本のジャー
ナリズムが堕落したのはサラリーマン化したからで、
明治時代、真に言論が力を持ってた時代には、個人が
身銭切って自説のパブリシティをやってた。
身銭切ってるから主張は妥協せず、妥協するときには
パブリシティそのものが終わっちゃうわけで。
そういう意味では切込隊長のやり方こそが本来の言論
のあり方であって、職業ジャーナリストのあてになら
ないこと、信ずるべからざるところは歴史上いくらで
も列挙できるわけで。
つまり、自分の褌で勝負する奴しか信用できない。
いずれにせよ、書いた物・言った言葉が
意図した通りに受け取られる事など先ず
無い、そういう覚悟でみなさん発言され
てるんですよね。それはプロ・アマ関係
無く。ああ、覚悟する必要は無いのか。
厳然たる前提条件か。
>私たちの社会がより豊かで安全なものとなるために
>確率論的に言って多くの人がリスクを取って一次情報を流し始めれば
>ネットは新しい世界を拓くことになるかもしれないと思うが、一方で
>そんなことしてもリスクばっかりでちっとも喰えない。
>だから、喰える私が私の責任の範囲内でやっている
一体、最近どうしたんだろうと思っていましたが、隊長は隊長の
ノブレスオブリージュの「形」を見つけた(定めた)のですね。
社会に出る以前からノブレスオブリージュ、もしくはそれに
つながる問題意識を持っていたとしても、「では具体的に自分が
社会に対して何をなしうるか」は、ある程度使える能力の手札が
揃ってから決まってくる。いや、手札が揃ってやれることの形が
見えてくるが故に、使命感が力強く立ち上がるようなところもある。
ひろゆきは問題意識の萌芽があっても、役割意識は持ち得なかった。
MARCHの限界なのかな。言いたかないけど。
隊長とひろゆきが袂を分かつ最大の原因は結局そこだったと思ってます。
あと金銭感覚ね(藁
>>50
統計的には如何なる成績内容であっても「足を引っ張る」:「どっちでもない」:「組織を引っ張る」が存在し、
比は同じとなる(偏差値)。会社の運営はその平均点と分散をどうするかという話であって標準偏差上の
比率なんか知ってもどうしようもない。つまり典型的なトートロジー。
(以下50と関係なし)
でもって高速道路(ITによるノウレッジシェア)っつうのは学校教育と同じく平均点を上げる仕組みであって
なんら問題ないというか社会的には大歓迎な事なのだ。社会下層で貧乏人なバカには特に嬉しい事態と知るべし。
そもそもなぜ「プロジャーナリスト」は大穴を当てる前提になっているのかとアホ臭くなってくる。パチスロでもしてろ。
これは情報資本というものの流動性が極めて高くなっているという話であって、蓄積資本に頼った経営は
出来ませんねってだけの話だろう。そんな手抜きは社会の足を引っ張る20%しか志向してないんだよ。
四則計算は誰でも出来るから経理事務は飢え死にするのかといえばそんなわけはない。
相変わらず皆さん毎日労働しましょう、で大半の80%は済むだろうよ。
小説以外の長文は読む気がしなくて
その小説ですら、最近は読むのが面倒になって
なんかもう、人としてどうよってカンジだったのだけど
最近、ここのエントリを興味のない分野でも
読むようにしてる。自分の生活とはまるで違う世界の事だから
ちっともわかんなかったりするんだけど(頭も悪いしね)
でも、「読む」という行為をだんだん思い出して来ているカンジ。
もっとたくさん読んでみたい。そして、いつか理解出来たらいいなと思ってる。
プロとアマの違い?
むーーーん・・・・・
"知"(インテリジェンス?)の分野においては
少なくとも自分の専門分野内の事に関して
「知らない」とか「見解をもっていない」ような事態に
直面した場合には「"負け"である。」というのがプロの
世界だと思うけどな。
・・・で、その先に"現実"の"勝ち負け"があるのが
「将棋」とか「相場」の世界だと思うが、「ジャーナリズム」にはあるんだろうか?
>>55
全く同感。
以前、「昔のネットワーカーには本当に格好良い人達がいた」というようなことを書いていたし。ネットの力、可能性をどこまで広げられるのか、自分の使命として身体を張って試しているのだろう。でも、命は大事にしてくだせえ。隊長。
食う当てが他にあって、
タダで雑誌連載記事を書いても
タダでTVにレギュラー出演しても
社会に対する責任が発生し履行する限り
プロはプロだと思うのだがどうだろう。
それよりも隊長病気か何かなのか?
上手かろうと下手だろうと
他人のために働いて、
他人から対価を得るのがプロ。
自分のために働いているのはアマチュア
なんじゃないのかなと思いますが。
作家は自分のために書いても
他人がそれで納得しちゃう位
クオリティが高くないとダメなんだろうね。
NEETは自分を探す前に、
自分を必要としている人を探したほうがいい。
もしくは他人から必要とされるスキルを。
セールスがあるかどうかがプロとアマの違いであるという
のは同意できる。
そんで、日本の新聞では、セールスはその記事の
クオリティでは決まらない。日本では広告まみれ
かつベタ記事まみれ、室の高い論説もあまりない。
それでも新聞は生きていけるし記者も生きていける
っぽい。
ところで欧米の新聞ってどういうふうに収益確保
してるのか誰か知らない?
何だか最近一定の長さ以上の文章になると頭が受け付けなくなってきたので、このエントリの半分も理解できてないし、コメントも多すぎて頭に入んないけど、何となく
「ルノワールにいわせれば、どんな傑作も『じぶんから、金儲けのためのやっつけ仕事だとおもっている作品から、自然に生じる』ものなのだ。」
というのを思い出した。
(長田弘著「私の二十世紀書店」より。
『』内は「ジャン・ルノワール自伝」からの引用。
ジャン・ルノワールは印象派の画家ルノワールの息子で「大いなる幻影」「河」「フレンチ・カンカン」を撮った映画監督)
「ジャーナリズム」とゲージツって似てる。
プロとは情報の偏差とレギュレーションを利用して儲けるもの。記者クラブなんかは完全に利権。本来的に社会の公共財産であるはずの株価にだってなぜか権利はある。
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため